第九章 スタジアム建設の詐欺公約の尻拭いに数百億円

◆平成一五年の詐欺公約

 一〇年も前の市長選挙の時の嘘公約・詐欺公約が、今、数百億円もの税金の無駄遣いにつながりつつある。

 「マニフェスト」という言葉が流行語大賞を獲得した平成一五年。四月に行われた高槻市長選挙で、奥本市長は、サッカースタジアムを建設し、そこにガンバ大阪を誘致するという公約を大々的に掲げた。

 この公約が書かれた大きなカラーのビラが少なくとも二種類、高槻市全域に配布された。

 その一つには、ジョン・レノンをイメージしたのか「IMAGINE」の横文字に、ガンバ大阪のユニフォームを着た奥本市長のイラスト、「いっしょに夢をもち、感動しましょう」の台詞、三万人収容のサッカー専用スタジアムを含む全面芝生の都市型公園の完成イメージ図と共に「『ガンバ』のホームタウンに・・・プロサッカーJ一『ガンバ』を高槻に誘致しよう!」の文字が躍った。

平成15年の高槻市長選挙前に配布された奥本市長の2つのビラ
サッカースタジアムの建設・ガンバ大阪の誘致が目玉公約だった

 もう一つには「決断と実行」のキャッチコピーに、やはりスタジアム等の完成イメージ図と「プロサッカーJ一『ガンバ』を!」の大書。推薦人として、自民・民主の国会議員や府議会議員、一六人の市議会議員、八人の市議会議員候補者の名が連ねてあった。

 サッカースタジアム建設以外には取り立てて目立った公約もない。スタジアム建設・ガンバ大阪誘致の公約は、奥本市長にとって最大の目玉公約・ほぼ唯一のアピールポイントであった。

 しかし、公約には問題があった。奥本市長がサッカースタジアムを建設するとしたのは、高槻市内にある京都大学農学部の付属農場。ここには弥生時代の貴重な遺跡が埋まっている。選挙当初からこの公約は実現不可能だと言われていた。

 選挙中、奥本市長の前の市長であった江村氏も、遺跡があるのだからサッカースタジアムなどできないと批判していた。江村市長時代、奥本市長は助役(今でいう副市長)であった。その奥本市長を批判するというのは、よほどおかしな公約で腹に据えかねたのか。

 ちなみに、江村氏も助役出身である。高槻市では、昭和四一年三月の吉田得三市長誕生から平成二三年四月に奥本市長が退任するまで、市職員出身者が市長となってきた。現在の濱田市長は元検事、つまり元国家公務員である。別に公務員出身が悪いとは言わない。与野党相乗りして担ぎ上げるにはこうした人がよいのだろう。他の市町村でもこうした人は多い。

 奥本市長は接戦を制して高槻市長に再選。当選の喜びに沸く選挙事務所で、奥本市長はマスコミに当選の要因を尋ねられ、「市民に夢を持たすということで、スポーツ公園とか、あるいはまた文化施設とか、そういうものに一番の市民の反応があったのではないかと思っています」と答えた。奥本市長自身、この公約に手ごたえを感じていたようだ。高槻市はサッカーが盛んな街である。この公約に期待したサッカーファンは多かっただろう。

 奥本市長は、当選後の施政方針演説で、毎年度、公約の実現を表明した。

 平成一五年度には、「市民のオアシスとして、人が集い、語らう場となる、全面芝生の都市型公園の構想を公約に掲げてまいりました。この公園にサッカースタジアムを備え、『ガンバ大阪』の本拠地を高槻に誘致することにより、市内外の多くの人々が集まり、夢を共有しながら、一体となって『感動のできる場』となります」と議会で明言した。

 ところが、同年一〇月一五日の大阪府議会・教育文化常任委員会で、大阪府は、公明党の府議の質問に対し、スタジアム建設について、「史跡の保存に影響を与えることになり、また史跡本来の活用とは考えがたいことから、建設は難しい」との見解を示した。

 にもかかわらず、平成一六年度の施政方針大綱でも、奥本市長は、「都市型公園の整備を契機として『サッカーのまち 高槻』に『ガンバ大阪』の誘致に向け、スポーツが生活の一部となる‘スポーツ文化’の醸成へと引き続き調査研究してまいります」とした。

 さらに、一七年度は「本市は、全国的にも『サッカーのまち 高槻』として、その名を馳せているところです。『ガンバ大阪』の誘致を含む都市型公園構想につきましては、にぎわいの創出やうるおいのあるスポーツ文化の醸成に向けて、京都大学をはじめ幅広く関係者に働きかけてまいります。ガンバ大阪につきましては、“高槻後援会”や“われら「ガンバ大阪」応援隊”など、ホームタウンとしての市民活動を応援してまいります」と、具体的な取組まで挙げた。

 高槻市役所は、同年七月に、「都市型公園整備構想中間報告書」を公表し、スタジアムを建設し、ガンバ大阪を誘致した場合、都市イメージの向上等で、計約一九五億円の経済効果があるとの試算を示した。事業費は、スタジアム建設費約一〇〇億円、用地費等約一五〇億円の計約二五〇億円とした。

 また、一八年三月には「都市型公園整備構想の基本的な方針」を公表し、公園構想等の概要を「市民のオアシスとして、人々が集い、語らう場となる、全面芝生公園にし、そこにサッカースタジアムを備え、『ガンバ大阪』の本拠地を高槻に誘致するもの」とし、「この公園構想等は、都市イメージの向上、経済波及効果、都市基盤の整備、全国への高槻ブランドの発信などが期待され、本市にとってもまた市民にとっても非常に大きな資産となり、市民文化活動に与える効果もきわめて大きいものとなる。」と謳った。

 このように、高槻市役所側は、年々ヒートアップしていったわけである。

 一方、京都大学に対しては、平成一八年八月に、この構想について説明を行ったが、京大側は「農場移転について学内では議題にもなっていない」として、譲渡などの合意は得られなかったという。

 しかし、京大の転出が高槻市にとってはデメリットになるとは考えなかったのか。関西大学の進出には、約四〇億円もの援助をしたが、その理由は関大の学生・教職員らが年間約二二億円の経済効果を生み、同大学のグラウンドは災害時に避難場所として活用できるからだとしていた。だとすれば京大についても同種の経済効果・防災対応が多少なりとも見込めたはずである。高槻市は関大を「知の拠点」とも持ち上げたが、その言葉は京都大学のほうにこそ相応しいのではないか。

 公約の実現は大阪府からも疑問視されているのに、何故このように突き進んだのか。客観性や冷静さを失って、実現できる見込みのない本件公約の達成に向けて盲進していたか、いかにも公約が進展しているように見せかけて市民を騙すため多言を弄していたか、どちらかなのだろう。

◆京大農場を買う約束をして去った奥本市長

 平成一九年四月の高槻市長選挙。奥本市長は三度目の出馬をすることになった。

 当然、前回のように、公約・マニフェストにはサッカースタジアム建設の文字が躍るものと思っていたが、サッカースタジアムの「サ」の字もなく、多くの公約に紛れるかのように「安満遺跡芝生公園の整備促進」とだけビラの下のほうに記載されていた。

 今回の奥本市長の目玉は健全財政であった。財政の健全性を示す「経常収支比率」が高槻市では九〇%で、それが奥本市長のこの四年間の実績だというのだ。だが、「経常収支比率」は七〇~八〇%が望ましいとされており、それからすれば、高槻市の財政は決して健全とは言い切れない。しかも、四年前の高槻市の経常収支比率は九〇%を下回っていた(一三年度で八七.五%)。この四年間で、実は、むしろ経常収支比率を悪化させていたのだ。

 もし仮にサッカースタジアム建設の公約が実現していたら、約二五〇億円の支出増となり、財政上大きな負担となっていたであろう。高槻市の財政があまり悪化しなかったのは、奥本市長の公約違反のためだったといえる。健全財政が実績だと謳うのは、まさにブラックジョークだ。

 市長選挙は奥本市長が僅差で勝利。前回の選挙よりも相手候補との差は縮まった。選挙期間に入る少し前、相手候補から、奥本市長の後援会の会長が名誉棄損等で告訴された。相手候補への誹謗中傷で、選挙を乗り切ろうとしたのかもしれない。

 私も市長選と同時期に行われた高槻市議選で初当選した。

 直後の六月議会で私は、次のとおりに指摘した。

 「この公約は、四年前の市長選挙の際の奥本市長の最大の目玉公約でありました。けれども、先ほどのご答弁では、特別委員会に付託して、いかにも進んでいるようなことをおっしゃってましたけども、この四年間、全く進捗していない。また、今回の市長選挙のマニフェストには、サッカースタジアムのサの字も出てこない。それより何より、この公約を掲げる以前には、京都大学や文化庁とは協議すらもしていなかった。つまり、実現可能かどうかを全く考慮せずに目玉公約を四年前につくってしまったわけです。公約は生きているのか死んでいるのかと一番最初にお尋ねしましたけれども、実は、この公約は最初から死んでいたと言えると思います。有権者をだますために掲げたうそ公約だとしか考えられないです。うそ公約ではない、公約違反ではないとおっしゃられるならば、マニフェストの原則にのっとって、いつまでに実現させるのかという期限を、今すぐにちゃんと示してください。それができないというのであれば、皆さんをだましてすみませんでしたと、サッカーファンの子どもを初めとする高槻市民の皆さんに謝罪をしていただきたいと思います。」

 市長はこの時、これに関しては何も答弁しなかった。選挙公約にも掲げず、議会で問われても何も答えない態度にも、公約の死は見えていたが。

 このように、公約が死んでいるにもかかわらず、平成二一年九月二八日、奥本市長は、京大農場を買い取る約束をしてしまった。高槻市役所、京都大学、独立法人都市再生機構(UR)の三者間で、「京都大学大学院農学研究科附属農場の移転等に係る覚書」を締結したのである。覚書ではあるが、何故か高槻市役所ではこれを「大枠合意書」と呼ぶ。

 この大枠合意書の概要は、①高槻市役所が、京大農場跡地のうち史跡部分を、京大から取得、②京大農場のその他の部分を京大からURが取得して防災公園を整備した後、これを高槻市役所が取得、③京大は、UR所有の京都府木津川市の土地に農場を移転させるというものである。

 URとしては、売れなかった木津川市の土地が売却でき、防災公園の工事も請け負うことができるのだから、願ったりかなったり。この仕組みについては後述する。

 高槻市には、「議会の議決に付すべき契約及び財産の取得又は処分に関する条例」がある。予定価格二〇〇〇万円以上の不動産(土地については一件五千平方メートル以上)の買い入れなどを高槻市役所が行う場合には、議会の承認が必要なのだ。大枠合意書の締結はこの条例に反する。しかし、高槻市議会は、この大枠合意書を取り消させるなどはしなかった。

 奥本市長が事実上、公約が実現不可能なことを認めたのは、平成二三年四月の市長選を約半年後に控えた、二二年一一月一〇日の史跡整備等特別委員会であった。奥本市長はこの約一か月前の九月二九日、議会の本会議で、次の市長選には出馬せず、任期満了で退任することを表明していた。

 この特別委員会では、京大農場の地下の遺跡の分布状況の調査結果が示された。高槻市教育委員会が平成二〇年度からの三か年、京大農場内において地中レーダー探索とボーリング調査による発掘調査を実施した結果だ。それからすれば、やはりスタジアムの建設は不可能と考えられた。私の最後の質問に、奥本市長はやっと口を開いた。

○(北岡委員)

 どうしても奥本市長に、最後、直接お答えをいただきたいんですけども、先ほどのご答弁では、言ってみれば、何が埋まっているかわからなければ、どういうふうに利用できるかわからないということですよね。じゃ、そのわからないままに、八年前に、ああいうふうに、つくりますと、誘致しますと公約をした、その根拠は一体何だったんですか。あれは不確かなままそういうふうに公約をされたのか、奥本市長にぜひ一言お願いをいたします。

 これを最後といたします。

○(奥本市長)

 (中略)経過としてその中でうまくいかないというようなことも、あるいは話が前へ進まないというようなこともあったり、あるいは京大の事情があったりと、いろんな面で、三者の協定書はつくっておりますけども、それが具体化するというようなことは、そう簡単にできるものではない。

 だから、公約がどうやったかと、過去にさかのぼって言われても、そういうことは往々にしてあることですので、何もこの問題に限ってのことではなく、例えば、前の、この京大農場の北側は、私の知ったときには三割程度しか進んでおらないというような中での状況と、京大が一大学として持っているということとの関係からすれば、いろいろとその整合性を図ったりしていくということは、将来においてもこれは続くものと、このように思っております。

・・・「公約がどうやったかと、過去にさかのぼって言われても、そういうことは往々にしてある」。要は、過去にしたスタジアム建設の公約の実現は困難だが、そういうことはこの問題に限らず、往々にしてあるのだと言い訳し、開き直っているわけだ。

 奥本市長は、委員会終了直後に、私に紅潮したしかめっ面を近づけ、握りこぶしを作りながら「何が言いたいんや、あの質問は、こら!何が言いたいんや!」と怒声を上げた。副市長に抱きかかえられて止められながら、「ふざけるなよ!」の捨て台詞も発した。

 ふざけるなと言いたいのはこちらだ。詐欺公約で有権者を騙したのは誰なのか。サッカースタジアムができる、ガンバ大阪が高槻に来ると信じさせ、サッカーファンを騙したのは誰なのか。すべて自分が市長にならんがための詐術だったのだ。それを責められ逆ギレする姿はあまりにも見苦しかった。

 高槻市は、発掘調査の結果等に基づき、京大農場のうち、史跡として保存すべき範囲について、文部科学大臣に意見具申。文化審議会は、京大農場約一五ヘクタールのうち、フタコブラクダのコブのような形の六.三ヘクタールを国史跡に追加指定した。既に京大農場の北に隣接する土地が指定されているので、これに追加する形で指定されたのだ。

 サッカースタジアムを建設するとすれば、この追加指定される範囲以外の部分(一五ヘクタール-六.三ヘクタール=八.七ヘクタール)に造ることになる。当時、ガンバ大阪に問い合わせたところ、建設予定のスタジアム(収容人数は三二〇〇〇人で竹中工務店が建設予定)の大きさは、縦二一〇メートル×横一九〇メートルのほぼ長方形型とのことであった。

 これを京大農場に重ねてみたが、史跡以外の範囲には収まらない。やはり、建設は不可能だということだ。

 平成二三年の三月議会は、選挙の前で一般質問が行われない。京大農場について奥本市長に問い質す最後の機会は二二年一二月議会となる。私は質問をしたが、奥本市長は何も答えなかった。

○(北岡隆浩議員) まず、京大農場についてです。

 奥本市長は、議員の質問に関して議場外で圧力をかけるような行為をしたわけですが、それについて謝罪を求めても、無意味な答弁しかしない。素直に謝罪し、反省しないのでしょうか。奥本市長の人格を疑わざるを得ないですね。

 京大農場にサッカースタジアムを建設して、ガンバ大阪を誘致できるのか、できないのか、どちらなのか、しっかりと明確にご答弁ください。これが一点目です。

 一回目の質問で、京都大学に話を持ちかけたのはいつなのかとお聞きしたのですが、なぜまともに答えられないのでしょうか、ちゃんと答えてください。これが二点目です。

 ご答弁では、平成一八年三月に策定した基本的な方針の中で、まずは市民の財産として公園用地を確保すると、スタジアム建設は行政案の一つだということですが、最初はこんなことを言っていませんでしたよね。

(中略)

 つまり、この一連の話の発端は、明らかにガンバ大阪誘致のためのサッカースタジアム建設という市長の公約であるわけで、それは決して、行政案の一つといったものではなく、唯一無二の構想として、平成一七年度までは施政方針で堂々と言い続けられていたわけです。そして、きょう現在においても、サッカースタジアム建設・ガンバ大阪誘致を、市長も市も否定しない。

 ずっとそういう態度でごまかしながら、数百億円で京大農場を買い取り、URに何か施設をつくらせるというところまで話を進めてきた。平成一八年くらいまでに、市長が、やっぱりガンバ大阪誘致は無理です、ごめんなさい、と素直に謝罪し、反省していれば、この話は途中でなくなって、巨額の税金を使って京大農場を買い取るという方向にもなっていなかったはずですが、公約の実現性をうやむやにしながら突き進み、平成二一年九月二八日には、ついに京大、高槻市、URの三者で、いわゆる大枠合意書まで締結してしまった。この責任はとてつもなく重いはずです。

 今回判明した、京大農場内の遺跡の範囲や、大阪府の見解、市のこれまでの答弁などからすると、ガンバ大阪のホームスタジアムの建設は、非常に困難と言わざるを得ない。ガンバ大阪を誘致できない場合でも、京大農場を買わないといけないのでしょうか。

 ガンバ大阪も誘致できず、京大も去っていくということになれば、何のために数百億もの税金を投じる必要があるのかわかりません。京大農場の移転の話は、すべてなかったことにすべきだと私は思いますが、平成二一年九月二八日に締結した、いわゆる大枠合意書は今からでも破棄できるのでしょうか、お答えください。これが三点目です。

 四点目は、奥本市長の公約の根拠です。約八年たった現時点においても、できるかできないかわからないようなサッカースタジアム建設・ガンバ大阪誘致の公約を、どんな根拠に基づいて、なぜ掲げたのでしょうか。また、その公約の実現性をいまだに、うやむやにしていることについては責任を感じないのでしょうか、お答えください。

 五点目は、都市再生機構、URはこれでどれだけ利益を上げるのかということです。史跡指定された範囲以外の土地については、いったんURが取得して、事業完了後に市に引き渡す。こういう形で、国土交通省の防災公園街区整備事業の補助金を活用するということなんですが、市の会計から公金が支出されるのに、非常に不透明な感じがします。URの問題はこれまでも指摘されたところですが、URはこれでどれくらいもうけるのでしょうか。高槻市は公金の使い道をちゃんとチェックできるのでしょうか、お答えください。

○市長公室長

 北岡議員の、京都大学農場に関する二問目のご質問にお答えいたします。

 まず、一点目の、スタジアム建設等に係るご質問でございますが、先般、史跡追加指定区域の答申が出たばかりでございますので、今後の庁内推進委員会等での検討課題と認識しております。

 二点目の、京都大学側に対する話しかけについてのご質問ですが、公有化に向けまして平成一五年度より、これまで継続的に協議を行っているところでございます。

 三点目の、大枠合意書に関するご質問ですが、京都大学、高槻市、都市再生機構の三者の合意のもとに締結をしたものでございますので、一方的には破棄できないものと考えております。

 四点目のご質問ですが、当該地は市街地に残されました貴重な、かつポテンシャルの高い空間でありますため、都市魅力の向上などの観点から、京都大学を初めとした関係者と協議調整を行う中で、順序を踏んで取り組んできております。

 五点目の、都市再生機構に関するご質問ですが、現時点では京都大学農場の土地の取得費や工事費等については算出してございません。今後につきましては、そうした内容につきまして、的確に確認を行いながら進めてまいりたいと考えております。

 以上でございます。

・・・平成二三年四月七日、朝日放送「NEWSゆう+」の「ウラドリ」のコーナーでこの問題が特集されたが、これに先立つ朝日放送からのインタビュー取材の依頼を、奥本市長は拒否した。

 奥本市長は、無責任にも、京大農場を買う約束だけを残し、詐欺公約の責任については何も語らぬまま、市長の座を去ったのだった。

◆後継者の濱田市長が公園化を推進

 奥本市長の後継者が濱田市長であることは、前述のとおり。

 濱田市長のビラには、「オール高槻の皆さんが はまだ剛史さんを応援しています」として、連合や農協等各種団体の関係者をはじめ、公明・自民・民主・無所属の市長与党の議員の名前が連ねられた。奥本市長のオール与党体制を引き継いだ自負が、「オール高槻」という言葉に込められているように思えた。

 京大農場についても、先の市長選の奥本市長同様、サッカースタジアム建設を表に出さず、「京大農場を防災公園として整備」との文言だけを、濱田市長は選挙公報やビラに載せた。

 京大農場の購入は、明らかにサッカースタジアム建設・ガンバ大阪誘致という奥本市長の公約を実現させるためのもの。この公約が実現されないのであれば、購入する必要はない。購入すれば、仮に何も建てなくても少なくとも土地代に莫大な税金を無駄遣いし、京都大学という「知の拠点」による経済効果等を失い、毎年その維持管理費が無駄にかかることになる。

 選挙から半年後の二三年一〇月、ガンバ大阪は吹田市の万博記念公園内に新スタジアムを建設すると決定した。これで奥本市長の公約の破たんは、スタジアム建設を信じる熱烈なサッカーファンの目から見ても、明らかになったのである。

 しかし、話は止まらなかった。既に京大農場を買い取り、防災公園にする約束を書面で交わしてしまっている。奥本市長の公約は最初から死んでいたのだが、スタジアム建設・ガンバ誘致という魂を持たないまま、市の会計にゾンビのように襲いかかるのである。

 濱田市長は、京大農場の史跡以外の土地を防災公園にするという。この防災公園の話はどこから来たのか。濱田市長が思いついたものではなく、奥本市長在任中からのものなのだ。

 発端は平成二〇年二月二〇日の史跡整備等特別委員会。京大農場跡地整備の事業手法について問われた高槻市役所が、「国の補助制度も含めまして、できるだけ本市にとって有利な手法、事業手法を模索していきたい」と答えたことに始まる。

 二一年二月一六日、その具体的な事業手法の検討結果について、「都市公園整備事業につきましては補助率は三分の一となっており、事業期間中の各年度に市も応分の財政負担が生じますが、この負担は事業期間中に集中することになります。しかし、防災公園街区整備事業の場合は、防災公園部分が無利子の上、五年据え置き、二〇年割賦となりますので、財政負担の平準化が可能となります」との報告が史跡整備等特別委員会でされた。

 ここで初めて「防災公園街区整備事業」という言葉が登場するのである。

 この時、サッカースタジアム建設が唯一無二の行政案であった。この事業の活用は、サッカースタジアム建設の費用負担を軽くするためだったのである。

 プロサッカーチーム・ジェフユナイテッド千葉のホームスタジアムであるフクダ電子アリーナ(蘇我球技場)も、この事業により、スタジアム建設にあたって国から補助金を得ている。

 「防災公園街区整備事業」は、URのサイトによると「災害に対し脆弱な構造となっている大都市地域等の既成市街地において、防災機能の強化を図ることを目的として、地方公共団体の要請に基づき、工場跡地等を機動的に取得するとともに、防災公園と周辺市街地の整備改善とを一体的に実施する事業」とされている。これまでの事例からすると、住宅密集地において、工場などが立ち退いた際に、それを奇貨として、工場跡地などを買い取って、防災公園にするというものだ。

 京大農場周辺が「災害に対し脆弱な構造」であるかというと、そうではない。

 京大農場は農地や果樹園といったオープンスペース(燃えるようなものがあまりないような空間)がほとんどだし、京大農場北隣の「安満遺跡グラウンド」は準広域避難地に指定されている。高槻市役所自身、農地は、災害発生時の避難地確保等の防災機能があることを認めているのだ。「災害に対し脆弱」どころか、逆に災害に強いのである。

 当時、高槻市役所は、京大農場に造るという防災公園の防災上の位置付けをどのように考えていたのか。平成二一年五月一四日の史跡整備等特別委員会で、私は以下の質問をした。

○(北岡委員)

 防災公園街区整備事業の検討依頼ということで、国土交通省に事業化要望調書を提出するということなんですが、この市全体の防災計画の中では、この安満遺跡の防災公園というのは、どのような位置づけになるのか。先ほど○○委員もおっしゃられていましたけども、関西大学のグラウンドも防災空間の確保という名目で約二九億円で買収することになったわけですけども、高槻市としては、全体としてどれだけの数の、あるいはどれだけの広さの防災公園や防災空間が必要なのでしょうか、お答えください。

○(政策企画室主幹)

 地域防災計画での位置づけのご質問だと思いますけれども、現在の地域防災計画につきましては、安満遺跡周辺というところで、今、史跡指定をされておるグラウンド部分を中心に準広域避難地という形で位置づけられております。今回の京大農場につきましては、土地所有者は京都大学でございますので、まだ防災計画上の位置づけはなされておりませんので、よろしくお願いします。

 また、必要面積云々ということなんですけども、そういった議論というのは、これから必要かと思いますが、市全体として防災公園が幾ら要るとかいうところについては、今の段階で何ぼという話はないので、よろしくお願いします。

○(北岡委員)

 これで最後にしたいんですけども、もし市長の公約どおりサッカースタジアムを建設するとなったら、その防災公園街区整備事業との兼ね合いとか、あるいは市の防災計画との兼ね合いというのはどうなるんでしょうか、お答えください。

○(政策企画室主幹)

 防災計画との兼ね合いというところでございますが、基本的には今の当特別委員会におきまして、一八年三月に基本的な方針を行政案として出させていただいております。その中で、市民の将来にわたっての財産として確保していくということに向かって、今、議論をさせていただいております。その中で、資金面云々ということになると、さまざまな利活用、また市街地の貴重な空間でございますので、何らかの利活用をしていきたいというふうなことで考えております。

 それと、地域防災計画との関係については、これから、その状況を踏まえながら決まっていくものというふうなことで考えておりますので、よろしくお願いします。

・・・高槻市役所は、防災上の必要性から、京大農場を取得するわけでもなければ、防災公園としての必要性も考えていなかったわけである。

 防災上の必要はないが、サッカースタジアム建設の費用の足しにする目的で、「防災公園街区整備事業」で得られる国の補助金を狙っていたのだ。

 災害に対して脆弱でもないのに、この補助金を申請し受け取るのは詐欺ではないのか。しかも、その補助金で行うというサッカースタジアム建設の公約は実現不可能であったのだ。こんなおかしなことを行政がやっているのである。

 この「防災公園街区整備事業」では、国から補助金は出るが、URに工事をさせなければならない決まりとなっている。URが国と市から金を受け取り、工事業者の選定も含め、工事のすべてを行う。URがおかしな契約をしようとも、高槻市役所に是正させる術はない。URは国土交通省所管の独立行政法人。官僚の天下り先だ。外郭団体を補助金で儲けさせる仕組みになっているのだろう。

 「高槻市地域防災計画」によれば、広域避難地の収容可能人数は七九万八九〇〇人、準広域難地の収容可能人数は六万八二五〇人であり、高槻市の人口約三六万人の倍以上の分の面積が確保されている。高槻市において、防災公園や避難地が不足しているとは考えられない。

 防災上、本当に必要があれば税金を投じる必要があるが、以上の経緯・現状からすれば、京大農場を防災公園にする必要はない。

 平成二三年の九月議会では、京大農場買取りのために約一三八億円の債務負担行為をするなど防災公園化のための議案が上程されたが、九月一日付の朝日新聞によれば、濱田市長は、議会前の記者会見で、「この地域は徒歩で避難できる場所がない。市民の安全安心にとって不可欠な機能だ」と説明したという。京大農場を防災公園にする必要性を強調したかったのだろうが、こんな暴論はない。

 九月二八日の本会議で私は質問し、以下のとおりの指摘をした。

 「この地域は徒歩で避難できる場所がないと市長が言ってましたということになれば、実際に火災なんかが起きたときに、もう逃げる場所はないのかと、避難をあきらめて焼け死ぬ人が出るかもしれません。下手をすればパニックを起こしかねない言葉だと思います。今まで高槻市はそんな地域をほったらかしにして何をしてきたのかということにもなるはずです。

 あるいは、京大農場を防災公園にしないと大変なことになるというふうに、おどしのようなつもりで言ったのかもしれませんが、市長の言葉としては、極めて不適切であると言わざるを得ません。

 実際には、京大農場周辺には、学校や準広域避難地があるわけですから、避難できる場所があるはずです。場合によれば京大農場へ逃げればいい。京大農場を買い取りたいがためなのかわかりませんけれども、軽々しくこういうことを市長が記者会見で公言するというのは、不見識で無責任です。地域の皆さんにおわびをして、実際には徒歩で避難できる場所がありますと訂正をして、具体的な避難場所を示して、謝罪をするべきだと思いますが、そのような考えはないんでしょうか(中略)

 濱田市長の失言については、もう全然答えになってないじゃないですか。ということは、京大農場周辺には徒歩で避難できる場所はないという言葉は取り消さない、それが高槻市の見解だ、濱田市長の見解だということです。住みやすさナンバーワンと言っていたけれども、徒歩で避難できる場所がないというデマ、偽りを言って住民を恐怖に陥れるのが濱田市長のやり方のようです。

 八月五日の史跡整備等特別委員会で、私は、現在の地域防災計画においては、京大農場周辺にお住まいの方は、どこに避難することになっているのかと尋ねました。すると、市は、家族や地域で避難場所や避難経路について話し合って決めてくださいというような答弁をしました。けれども、徒歩で避難できる場所がないのであれば、話し合っても無駄じゃないですか。

 大阪府のガイドラインを持ち出したくせに、避難困難区域の把握も正確にできないと。幅員一六メートルの道なんて、高槻市内では国道か府道の一部くらいしかないわけですから、府の基準に従えば避難困難区域の定義に当てはまる場所は、かなりの数に上るはずです。その具体的な地名や面積を言えないということは、府のガイドラインを軽視、無視してきた、考慮してこなかった、つまり危機管理の仕事をちゃんとしてこなかったと、単に濱田市長の失言をごまかすために、きょう持ち出したということです。府のガイドラインを持ち出したことで、むしろ墓穴を掘った感じもしております。

 それから、高槻市としても農地等のオープンスペースを活用して防災空間の確保に努めるということです。ぜひ、京大農場も移転させずに、防災空間として活用、確保してください。

 高槻市地域防災計画に不備はないと言うんですが、徒歩で避難できる場所がない地域があるとも言う。もう言っていることが矛盾してるんじゃないでしょうか。」

・・・この時に出された議案は撤回されたが、平成二四年の三月議会では、関連の三議案(都市公園を設置すべき区域の決定について、(仮称)八丁畷地区防災公園に関する直接施行の同意について、平成二四年高槻市一般会計予算)が賛成多数で可決されてしまった。

 しかし、最後の最後まで、諦めるわけにはいかない。

 濱田市長は、選挙公報等に「京大農場を防災公園として整備」と記載していた。私は、この公約について、濱田市長は、選挙時、具体的にどのような防災公園を思い描いていたのか、具体的にどんな防災公園にすると有権者に訴えていたのかと、平成二四年七月一八日の史跡整備等特別委員会で尋ねたが、濱田市長はまったく答えなかった。

○(北岡委員) 資料の一ページ目に、主な経過等として、平成二一年から現在まで、わずかに五つの出来事しか記載されていませんが、いろいろと重要なことが抜け落ちてます。

 平成二一年は、奥本市長が在職中でした。現在、濱田市長となっています。平成二三年四月に高槻市長選挙があったわけですね。濱田市長は、その市長選のときの選挙広報に、学校校舎の耐震化工事推進、京大農場を防災公園として整備と記載されています。ことし二月八日の史跡整備等特別委員会でも、選挙で防災公園を設置するという公約を掲げて市長に就任したと答弁されていました。

 この市長選挙のときに、濱田市長は、具体的にどのような防災公園を思い描かれていたのでしょうか。選挙のときには、具体的にどんな防災公園にすると有権者に訴えておられたのでしょうか。濱田市長、お答えください。

○(政策推進室参事) この場は特別委員会の場でございますので、選挙のときの公約であるとか、そういう政治的なことでのお話を議論する場ではないというふうに考えておりますので、答弁は控えさせていただきたいと思います。

○(北岡委員) 先ほど言いましたとおり、前の史跡整備等特別委員会で、濱田市長みずからがそういう答弁をされたんです。濱田市長みずから答弁されたんですよ。で、その選挙でそういうことを公約したんだからいいんだというような答弁でした。ということは、高槻市として、市長として、やはりその選挙のときにどういうふうに構想して有権者に訴えたのか、それをこの場でしっかりと明らかにしてもらわなくちゃ困りますよね。濱田市長、素直に選挙のときにはどういうふうな構想を思い描いていたのか、具体的にお答えください。もう素直に正直に答えてください。どうぞ。

(中略)

○(政策推進室主幹) 当該地につきましては、非常に貴重な空間でございますので、公園整備に当たりましては、防災機能を備えた公園、また史跡の保存あるいは活用、こういったことも踏まえながら、緑豊かな公園を目指してまいりたいというふうに考えておりますので、よろしくお願いいたします。

○(北岡委員) 濱田市長にお聞きしているんですよ。濱田市長が公約されたんでね。この目の前におられるわけですから、ここに濱田市長出席されているわけですから、一生懸命選挙のときに訴えられたと思いますよ。それで当選したんだから、公約して当選したんだからそれでいいんだと答弁されたんだからね。その公約についてなぜ説明できないのか。傍聴者の方もたくさんおられますよね、市民の方おられますよね。なぜ市民に対して説明できないのかね、全く不可解ですよね。

 もう一度聞きます。先ほどは政策推進室主幹が答えられてましたけど、濱田市長がみずからお答えになるべきじゃないんですか。なぜ答えられないんですか。もう一度聞きます。よろしくお願いします。

○(政策推進室参事) 選挙の話ではなくて、安満遺跡の公園をつくっていくということで、我々行政のほうはその事業を進めているところでございます。今後の進め方につきまして、きょうご報告をし、ご議論を賜りたいというふうに考えておりますので、公園の内容につきましては、行政が提案をしております今の進め方を含めまして、ご議論をいただきたいというふうに思っております。

○(北岡委員) 何度聞いてもお答えになられないんで、これはいいんですけれども、もし市長選挙のときに濱田市長じゃなくて別の市長になってたら、この話も変わってたはずなんですよね。だから、ここの市長選挙というのは重要なターニングポイントだったはずです。濱田市長がお答えになられないということは、濱田市長のそのときの公約というのは、濱田市長がご自身で考えてつくったものじゃなくて、高槻市の職員の方々とかがつくって、濱田市長はその振りつけどおりにしただけなのかなという感じがします。

 以前も紹介しましたけれども、平成二三年四月二五日の読売新聞の朝刊には、高槻市長に濱田さん初当選の見出しで、民主、自民、公明三党からの推薦のほか、共産党からも応援を受けた濱田市長が高槻市長選挙で初当選、今期で引退する奥本務市長から花束を受け取り、奥本市政の三期一二年の実績が問われた選挙を認められて本当にうれしいと笑顔で話したと書かれています。

○(委員長) 北岡委員、この中身で質疑をしていただけますか。市長選挙のことではなく、この中身で質問してください。よろしくお願いします。

○(北岡委員) いや、中身で聞いてますよ。だから、その前提として言ってるだけです。

 で、同じ日の朝日新聞には、濱田市長が、高槻は解体して粗悪な家に建てかえる必要はないと、現市政を引き継ぐ姿勢を強調したとされています。高槻市バスの売上金窃盗事件や生活保護費詐取事件からすれば、奥本市長時代の高槻市役所のほうが、金庫に鍵もかけてない、泥棒がたくさんいる粗悪な家のような気がしますが、与野党相乗りで支援を受けた濱田市長が、奥本市政の実績を問い、かつ奥本市政を引き継ぐ姿勢でもって打って出た選挙で当選したということです。

そうすると、濱田市長の選挙公約は、奥本市政の延長線上にあるものだとしか考えられない。市長選当時、京大農場に関して、市としては行政案として幾つか考えているようでしたけれども、具体的な行政案はサッカースタジアムしかありませんでした。ということは、濱田市長の公約に関しても、サッカースタジアムを含む防災公園を建設するという構想だったということになるのではないでしょうか。濱田市長、答えてください。(中略)

○(政策推進室参事) 先ほど来ご答弁申し上げておりますように、京大農場跡地につきましては、歴史と緑豊かな公園として整備すべく、今年度より整備構想の検討をスタートしていきたいということで、本特別委員会にご報告をし、その進め方等につきましてご議論を賜ってまいりたいというふうに考えておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

○(北岡委員) 今年度より整備構想をスタートするということですね。サッカースタジアムのことは何も言われませんでしたけれども、濱田市長が奥本市政を継承しているということは、だれの目から見ても明らかですね。奥本市長は平成一五年四月の市長選挙の際に、サッカースタジアムを建設し、ガンバ大阪を誘致するという目玉公約を掲げて当選されました。当選直後に選挙事務所でテレビのインタビューに、その公約に対する市民の反応が高かったと語っていました。つまり、その公約が当選の大きな要因になったと考えられるわけです。これは、朝日放送でも選挙の前に放送されましたね。そういうことがありました。(中略)

 当時、京大農場のどこに遺跡が埋まっているのかわからなかった。わからなかったのに、巨大なスタジアムを建設するという、非常にいいかげんな公約を奥本前市長は掲げていたということです。濱田市長は市長に当選後、高槻は解体して粗悪な家に建てかえる必要はないと、相手候補の公約を批判するようなことを言っていますが、京大農場の取得の原因である奥本前市長の公約のほうがめちゃくちゃだったわけです。それでも奥本前市長は施政方針演説のたびに、実現させるというようなことをおっしゃり続けた。そして京大に対しては、公約への理解を求めて、農場を購入したいと申し入れをした。そして資料にあるとおり、平成二一年九月二八日に京都大学大学院農学研究科附属農場の移転等に係る覚書を締結しました。

 そういう流れの中で、サッカースタジアムの建設は行政案として存在し続けていて、そして濱田市長になってからも、唯一具体的な行政案であったわけです。濱田市長が高槻市の市長になれば、サッカースタジアムを建設してくれると、そう信じて濱田市長に投票した有権者もいたんじゃないでしょうか。現にスタジアムを建設してほしいと七万人くらいの署名が集まりました。ところが平成二三年一〇月に、ガンバ大阪は吹田市にサッカースタジアムを建設することを決定した。つまり、その時点でサッカースタジアムの公約は破綻したということです。

 京大農場の購入は、サッカースタジアムありきだったわけです。このことについては、平成二三年九月議会で民主党の○○議長を初め、ほかの議員の方もおっしゃられていたかと思います。サッカースタジアムの公約が破綻したのだから、京大農場の取得自体を白紙にすべきではないんでしょうか。濱田市長が市政を受け継いだ奥本前市長の市長選の目玉公約であり、その目玉公約が当選の大きな要因にもなり、また京大農場購入決定の原因となったわけですから、その公約が破綻したのであれば京大農場は買わない、取得しないというのが筋ではないんでしょうか。なぜ白紙にしないのか、お答えください。

○(政策推進室参事) スタジアムありきのようなご質問でございますが、この安満遺跡芝生公園につきましては、行政案の一つということで、昨年の中間報告におきましては申し上げておったものでございました。それと、公園を整備していくという考え方については関連性を持っておらず、公園を整備していくことにつきましては、本来もともとの高槻市が緑の計画を立てたときから、昭和の時代からでございますが、京大農場跡地を、もし京都大学が移転をされるというふうなことがあれば、その跡地については公園化を図っていきたいという行政計画を常々持っておったものでございます。その流れにのっとって、今日、公園化を図っていこうとしているものでございますので、よろしくお願いいたします。

○(北岡委員) そのスタジアムありきだということは、先ほども言いました、平成二三年九月議会で議長初め、ほかの方もおっしゃられていたと思いますし、やはり経緯をたどると、京大農場の購入の原因というのはスタジアムの公約だったわけですよね。緑の基本計画のこともおっしゃられてましたけども、京大が移転されるのであればという、消極的な記載だったというふうにご答弁から察せられるわけですけれども、売ってくれということではなかったわけですよね。つまり、そのスタジアムの公約というのが、やはり京大農場取得の原因であったというふうに考えられるわけです。

 どうしても京大農場を買って何かつくりたいんだというのであれば、濱田市長はもう一度選挙で問うべきじゃないでしょうか。何を建てるのか、何をつくるのか決まっていないけれども、土地だけ先に買いますというのは、公約云々以前に全くやり方がおかしいわけですけれども、どうしても一〇〇億円以上の税金を使って買いたいんだということであれば、市長を辞職して、選挙で市民に問うてみるべきだと私は思います。市長を辞職して、京大農場取得を争点に市長選をやるというお考えは、濱田市長にはないんでしょうか。お答えください。

○(政策推進室参事) 北岡委員の、最初のご質問でもお答えをいたしましたが、安満遺跡芝生公園等の整備に関しまして、これから整備構想の検討を含めて、市民の皆さんのお声もちょうだいをしながら進めていこうという段階でございます。この公園をよりよきものにするために、ご議論をちょうだいしたいというふうに考えておりますので、よろしくお願いいたします。(中略)

○(北岡委員) 先ほども休憩中にお話ししたとおり、市民の皆さんには全然わからないと思います。

 これから整備構想を検討していくとかいうことですけれども、あのサッカースタジアムの話はどうなったのかなとか、一体どうなってんのやろというふうに思ってはる方は多いと思います。サッカースタジアムの話はなくなったんだから、京大農場を買う必要はないじゃないかと、普通なら、奥本市長のあの公約を覚えておられる市民であれば、考えると思います。

 史跡指定された範囲は買ってあげてもいいかもしれないけども、それ以外の部分はなぜ買わないといけないのか。史跡指定された範囲についても、農学部が農場として使用する分には遺跡・遺構を痛めないわけですから、そのまま農場の状態で使ってもらってもいいわけです。

 防災公園にするというのも、欺瞞に満ちた話でね、そもそもなぜ防災公園にすると言い出したかというと、平成二一年二月一六日の史跡整備等特別委員会と、それ以前の委員会の議事録を見ていただければ明らかですが、平成二一年二月一六日に初めて防災公園街区整備事業の説明をして、国の補助金を活用すると言い出した。つまり、国から補助金が欲しいから防災公園にすると言い出したわけです。それまでは、防災公園にするなんてことは全く言っていなかった。

 私は、高槻市にはどれだけ防災公園が必要なんですかと質問したりしましたけれども、高槻市としては考えていないと、これから考えるというような答弁でした。つまり、市民の安全のために防災上の必要性から京大農場を取得するのではなく、防災公園というのは、土地代や、その当時であればスタジアムの建設費用を賄うための、国の金目当てだったというわけです。

 これは以前も言いましたけれども、農地は燃えるものがほとんどないと。なので住民が災害時に逃げ込めるオープンスペースだということで、防災上有益だとされています。高槻市も大阪府も、農地には防災機能があるという言い方で、そのようなことを言っています。京大農場は広大な農地ですから、そのままで防災上有益だと言わざるを得ません。

 平成二一年五月一四日の史跡整備等特別委員会で、日本共産党の○○議員の発言、現在、当委員会の委員長をされていますけれども、○○委員長の発言ですが、駅前の貴重なまとまった空間、都市防災の観点からといって、目と鼻の先にある関大のグラウンドを買収しました。また同じ事業手法の防災公園街区整備事業で、古曽部中央公園――今は古曽部防災公園となってますけれども――を整備しています。防災というなら、今回の安満遺跡公園を入れると、関大を中心に半径五〇〇メートル以内に三つも防災機能を持ったものがあるということになります。防災と名がつけば、どんどん推進をすればよいというものではないというふうに思います。公園としての機能の中には、防災という名がついていなくても、防災上の役割が含まれているものです、とおっしゃられています。

 私もそのとおりだと思います。史跡指定された部分だけでも、仮に公園にすれば約一二.八ヘクタールもあるわけですから、(中略)防災上の役割はかなり果たせると思いますし、高槻市内にはほかに広域避難地などが各所にありまして、高槻市の人口の倍くらい収容できるとされています。それでも京大農場を防災公園にする必要はあるんでしょうか。京大農場を防災公園にする必要性の根拠について、明確にご答弁ください。(中略)

○(政策推進室主幹) これまでも、本年二月の特別委員会あるいは本年三月の本会議におきまして、今いただいたご質問についてはご説明のほうをさせていただいた中で、関連議案についてご議決いただいたところでございますので、よろしくお願いいたします。

○(北岡委員) ちゃんと答弁できないね。市民の皆さんも、ほかの議員の皆さんも傍聴されてますよね。何で防災公園にする必要性があるのか、その根拠を全く述べることができない。

○○委員長も過去おっしゃられてました、半径五〇〇メートル以内にほかにも防災公園があるじゃないか、関西大学のグラウンドもあるじゃないか、何で必要なのか。これは、だれだってそう思いますよね。何で京大農場を防災公園にしないといけないのか。URに工事させることに関しての疑問も、かつてどなたかの議員がおっしゃられていましたけれども、そういう問題もある。本当にええのかな。

 防災公園に関しての必要性も、前、何かわけのわからない資料を出してきて、ここが避難圏域ですとか何か言ってましたけど、それは全くおかしなことだというのは、そのときの議事録を読んでいただければおわかりになると思いますけども、そういう防災公園としての理由というのは、どう考えても後づけなんですよね。先ほども言いましたけども、結局、防災公園にするというのは、国のお金が目当てなわけです。議事録をひもとけばね。そのサッカースタジアムの話もなくなった今、国からお金がもらえるからといって、土地を買ったり何か箱物をつくったりする必要があるんでしょうか。

 市としては、支出がちょっとでも減ればいいかもしれないですけど、我々高槻市民というのは、日本国民でもあるわけです。国の支出がふえれば、しかも無駄な防災公園に多額の税金が使われるのだとすれば、何するねん、という話ですよね。国は財政が厳しいということで、消費税を増税しようとしているじゃないですか。衆議院では、消費税増税法案が可決されました。我々は国民という立場で、国の財政的な負担の軽減も考えなければならないのではないでしょうか。

 公明党は、防災ニューディールということで、先日は意見書を高槻市議会として可決もしましたけれども、そういうこともありましたけども、幾ら防災だといっても無駄なところに大切な税金を使ってしまったら、本当に必要なところには回らなくなるかもしれない。全国的に見れば、防災対策を施さないといけない地域はまだまだたくさんあります。一方で、高槻市には、先ほども言いましたけれども、古曽部防災公園もあれば、関西大学ミューズキャンパスもある。広域避難地、準広域避難地も十分にある。サッカースタジアムの公約は破綻したのだから、防災公園をつくるのはやめて、国の補助金は辞退して、東北の被災地や、先日大雨で被害を受けた九州のために使ってもらうと。被災地のために募金をしましょうということで、高槻市役所でも募金箱を置いて、募金を呼びかけていましたよね。その一方で、必要のない防災公園を国費を使ってつくるというのは、矛盾していると思います。国費の無駄遣いはやめて、ほかの困っている地域のために使ってもらうほうが、私はよいと思います。

 主な経過等に戻りますけれども、平成二三年の八月と九月に高槻市とURとの間で、防災公園街区整備事業について、事業要請と同意照会というのをしています。URとは事業について合意ができているようですが、国はどうなんでしょうか。国からの補助金、これは防災公園街区整備事業に係る補助金のほうですが、これは確実に交付されるんでしょうか。以前も指摘しましたが、防災公園街区整備事業は、災害に対して脆弱な地域が対象となっています。農地は防災上有益であると、高槻市も大阪府も認めるところですが、京大農場を防災公園に整備することについて、防災公園街区整備事業の適用を受け、国から補助金を受け取ることが確実にできるんでしょうか。お答えください。

○(政策推進室主幹) 当該地区の防災公園街区整備事業につきましては、URとも協議をこれまで行っておりますが、国におきましても、事業は採択されるという予定でございます。

○(北岡委員) 国のほうも事業を採択する予定だということなんですが、もし仮に国土交通省から補助金が出なければ、防災公園部分の事業は白紙になるんでしょうか。お答えください。

○(政策推進室参事) 常に補助金というものは国に申請をして、お願いをして獲得をしていくものでございますが、今回の防災公園街区整備事業につきましては、UR都市再生機構のほうで、その手続をやっていただいているものでございます。既に当該防災公園につきましては、補助金が執行できるというふうなことをURを通じましてお聞きをしているものでございまして、今の時点で白紙になるとか、そういうふうなことは考えておりません。

○(北岡委員) 白紙になるということは考えてないということですね。

(中略)「市民アンケート調査(市民ニーズ)」とありますが、「市民ニーズ」というのは需要のことですけれども、ということは、京大農場を買う必要があるのかないのか、土地の取得そのものの需要、必要性も市民に問うべきではないかと私は思いますが、その点について、市の考え方をお聞かせください。

○(政策推進室参事) 去る三月議会におきまして、この安満遺跡芝生公園の関連三議案をご議決いただいたところでございます。議会のほうでもご承認をいただいたこの公園を、よりよきものにしていくために、アンケートをまず皮切りとして市民の方のご意見、ご要望を承りたいというふうに考えているものでございまして、あくまでも公園を整備をしていくという前提で、この構想の策定に取り組んでまいりたいというふうに考えておりますので、アンケートの中におきましては、そのような項目は考えておりません。

○(北岡委員) (中略)市民の方は全然わからない方、多いと思うんですよ。で、そういう土地の取得そのものが必要かどうかということに関しては、アンケート調査では問わないということみたいですけれども、やはりアンケート調査の際には、○○委員からもありましたけれども、すべての事情を、これまでの経緯をしっかりと市民に説明しなければいけないと思います。

 京大農場取得の決定原因となった奥本前市長の公約、これが超いいかげんだったということ、防災公園としての必要性はないと、何で防災公園と言ったかというと、あくまでも国の補助金をもらうためのものだったと。スタジアム建設が吹田市に決まったので、奥本前市長の公約は完全に破綻したとか、すべての事情を市民の皆さんに知ってもらった上で、濱田市長が前おっしゃっていた、何事もオープンにオープンにして、本当に京大農場が必要なのかを問うべきだと思います。

 議場で議決があったということなんですが、市民の皆さんの意識とは非常に乖離していると思います。ほんまに必要なのか。サッカースタジアムどうなったんやとね。七万人も署名が集まったということもありますし、ほんま市民の人は全然明らかにされないまま、与野党相乗りの議会が決定してしまったということですので、これ本当に市民の人がもし事情を知れば、憤りを感じられる方も多いと思います。

 そういうふうに、ちゃんとこれまでの事情を包み隠さず、しっかりと、悪いとこも含めて、奥本市長の公約も含め、防災公園と何で言い出したのかも含めて、しっかりとオープンにすべきだと思いますが、そういう事情も説明されるのかどうか、市の考えをお聞かせください。

○(政策推進室主幹) 本市といたしましては、今後事業を進めていく中で、必要な内容につきまして、ご説明のほうをさせていただく予定でございます。

○(北岡委員) 必要な内容とおっしゃられてましたけども、市の都合のいい内容、ほかの都合の悪い部分は市民には伝えないということだと思います。

(中略)何を建てるのか決めていない、何の目的もなしに土地を購入するというのは、地方財政法第八条の、地方公共団体の財産は、その所有の目的に応じて最も効率的にこれを運用しなければならない、という規定に違反するのではないかと私は思います。一方、市民にとっても何をつくるのかわからない、費用もどれだけかかるかわからない、けれども土地を購入しますので、何をつくるか考えてみてくださいというのは、無駄な土地と箱物の押し売りみたいなものじゃないでしょうか。市民ニーズを調査するためにアンケートを行うということなんですが、そんなことは、京大やURと覚書を交わす前にやらなければならなかったはずです。まず、土地そのものが要るか要らないか、アンケート調査をするなら、質問をすべきだということを指摘しておきます。

 アンケート調査の結果を高槻市は恣意的に解釈してアリバイ的に利用するのではないかとも危惧しますが、このアンケート調査の結果はどのように利用するのか、先ほど○○委員からもありましたけれども、やはり最初に、アンケート調査をやる前、どういう結果が出たらどうするのか、どう考えるのか、そういう基準を決めておくべきだと思うんですね。もしそういった基準があるんであれば、今ここでお示しください。

○(政策推進室主幹) 今、北岡委員がおっしゃられたような、基準といったものはございません。市民ニーズを把握するためにアンケート調査をまず実施する中で、市としても、市民がどのような公園を望んでおられるか、そういったことを把握する中で、今後の整備構想の検討会あるいは市民のワークショップの中で、皆さんにご議論を賜りたいというふうに考えている中で、こういったものの材料の一つとして考えているところでございます。

○(北岡委員)(中略)

 何をつくるのか、箱物にどれだけの予算をかけるのかということに関しては未定だということになると思いますが、大きな何かを、スタジアムになるのかよくわからないですけども、何かをつくるということになる可能性が高いのかなと思います。にもかかわらず、予算の縛りがないというのは、やはりおかしいですよね。税金を無制限に使えるはずがありませんし、やはり上限を示す必要性があるのかなと思います。

 それから、何でもつくれるのかというと、それもないんじゃないかなと思います。市民やコンサルに案を出せと言うなら、予算や建築の条件も示す必要があるはずだと考えますが、この点についてはいかがでしょうか。お答えください。(中略)

○(政策推進室参事) お尋ねの、予算の上限等との関連でございますが、まず整備構想を策定していきます中で、どのような公園として整備をするのかを、市民の方のご意見等も拝聴しながら、まず構想を立ててまいります。その中で、整備費としてはどの程度かかるのかということを、見積もり等も出てまいろうかと思います。概算ではございますけれども、数字が出てまいろうかと思います。それに基づいて、この三月議会でご議決いただきました債務負担行為の変更といった行為も出てまいろうかと思います。そういう中で、議会におきましてもご議論を賜りたいというふうに思っております。

 あくまでも整備構想で、どのような公園の整備をするのか、その中身によって整備費は異なってまいりますので、その整備構想をきっちりと立てていきたいというふうに考えております。

○(北岡委員) 質問を繰り返さないでということなんで、つまり答弁からすると、予算も建築条件も何も決まっていないと。何か市民の意見が出てから、その整備構想を考えて、そして出てくるであろう見積もりからその予算を計上して、債務負担行為の変更もしていくということなんですけれども、そういう答弁であれば仕方がないと思いますが。

 次は経済効果の問題ですね。

 奥本前市長は、サッカースタジアムを建設してガンバ大阪を誘致した場合、都市イメージの向上などで計約一九五億円の経済効果があるとの試算をしましたが、今回の市民からの意見あるいは出てくる公園デザインやアイデアに関して、採算性や経済効果を考慮されるんでしょうか。採算性や経済効果についての検証もやはり必要になると思いますが、高槻市が責任を持ってそれを行うことになるんでしょうか。お答えください。

○(政策推進室参事) 基本的に、防災公園と史跡公園の整備を行ってまいるわけですが、その中で波及的効果としての経済効果がどのようなものが生じるのかということは、一定議論されるかもしれませんが、経済波及効果あるいはそういう効果のみが目的となるものではございません。

○(北岡委員) 経済効果のみを目的にしないということなんですけども、防災公園としても必要性がないわけですから、仮につくるんであれば、経済効果というのが大きなポイントになってくると思うんですよ。それはしっかりと、仮につくるんであれば、していただきたいと思います。

(中略)

 周辺住民に配慮するのかしないのか、よくわからないようなご答弁でしたけれども、しっかりと配慮していただきたいなと思います。

 五ページの一番下ですね、平成二五年度、先ほども言いました「整備構想の策定」とあります。その前には、説明会、オープンハウス(パネル展示)とか、パブリックコメントを実施するようですけれども、整備構想については、最終的にはだれがこれでいこうと、これに決定だというような判断をするんでしょうか。お答えください。

○(政策推進室主幹) 本日の資料にもございますように、整備構想の検討素案、案、最終的に策定といった流れになります。それぞれにつきまして、議会の皆様にもご報告させていただきながら、最終検討案につきましてもご報告させていただき、最終的に策定といった流れになろうかと思います。

○(北岡委員) だれが策定するのか聞いているんですよ。市長なんですかね。市長なのかどうなのか、お答えください。

○(政策推進室参事) 基本的に行政の計画になりますので、行政のほうで決めさせていただくことになります。

○(北岡委員) 行政ということは市長なんでしょうか。

 市長だと考えておきます。

 市長が最終的に決定するということなんですけれども、そうであるならば、やはり私は、京大農場を買いたいと、市民の皆さんどうですか、有権者の皆さんどうですかということで、先ほども言いましたけれども、市長を辞職して、そして有権者に改めて問うべきだと思います。それが奥本市政の後継者である濱田市長がとるべき道ではないかなと。しっかりと筋を通すんであれば、佐賀県武雄市で樋渡市長もされましたけれども、辞職して、もう一度これに関して市民の信を問うというようなことをされるのが筋だと思います。

 まとめになりますのでお許しいただきたいんですが、これまでの平成一五年からの経緯からすれば、京大農場を今回取得するというのは、やはり破綻した奥本前市長の詐欺的な公約のしりぬぐいであることは明らかだと思います。市民にしっかりと説明せずに、ごまかしながら、うやむやのまま話を進めて、遂には与野党相乗りの市長が京大農場の購入を決定して、何かつくるというところまで来てしまいました。奥本市長のやり方もおかしかったけれども、それを引き継いだ濱田市長のやり方もおかしい。

 私としては、京都大学に残ってもらうのが一番だと思いますが、先ほども言いました、濱田市長はどうしても京大農場を買いたいんだと、何かつくりたいんだということであれば、辞職して、具体的に何をつくるのか、濱田市長みずからがしっかりと考えていただいて、それを公約にして、もう一度選挙で民意を問うべきだと思います。それが筋です。本当にめちゃくちゃな話だと思います。

 以上です。

・・・スタジアム建設の公約の破たんが明白となった後、高槻市役所は、京大農場の買取りの大義名分を防災のためとし、さらに公園化の免罪符を「市民の意見」に求めた。アンケートや、学識経験者による「整備構想検討会」、公募市民による「市民ワークショップ」で素案を作成し、パブリックコメント(素案に対する市民からの意見の募集)で形ばかりの禊を経て、平成二六年三月に「(仮称)安満遺跡公園整備構想」を策定した。

 この公園構想の「市民とともに育てつづける公園」といった理念やコンセプトは立派なものだが、構想図を見る限りは、よくある公園のようだ。平凡な案としか感じられない。

 京大農場には、この史跡公園と防災公園のほか、「子どもが主役となる拠点」という箱物も造られる予定だ。この箱物の案は二四年二月に突然出てきたのだが、これの必要性に関する質問を何度しても、まったく具体的な説明はされなかった。次の市長選挙にでも、子育て政策の実績として利用されるのだろうか。

 現在、残念ながらこうした形になってしまったが、そもそもは、奥本市長が、実現不可能な詐欺公約のために、京大農場を買い取る約束をしたことが原因なのである。このことをまず市民に広く説明し、京大農場を買い取るべきか否か、市民の意見を聞くなり、出直し選挙をすべきではなかったのか。

 しかし、濱田市長はそれらをせず、スタジアムを建設するという公約の破綻をうやむやにしたまま、徒歩で避難できる場所がないなどと根拠のないデマまで言って、強引にここまで進めてしまった。こんなやり方は税金を預かる者として失格ではないのか。

 当初、サッカースタジアムや防災公園に疑問を呈していた議員もいたが、いつの間にか賛成派となっていった。京大農場の移転が決まってしまった以上「あきらめなければなりません」という議員もいる。

 京大農場の公園化は、土地代だけで百億円以上。そこに様々な施設・設備を置くための工事を行う。公園や施設の維持管理費も必要だ。詐欺公約の尻拭いにかかる経費は数百億と考えられるが、それらの原資は当然皆さんが納めた税金である。

 無理が通れば道理引っ込む。それを選挙という投票者の多数決で選ばれた市長や議員らが進めている。これを正すには、まずはこうした現状を有権者に知ってもらうことだと考えペンを執った。多くの有権者が現実を知れば、市政を変えられると信じて。

目次へ 前章へ戻る 次章へ進む

第九章 スタジアム建設の詐欺公約の尻拭いに数百億円” に対して2件のコメントがあります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です